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祇園白川の夜桜・・・咲いてるやん。。。 検 ライトアップ・祇園新橋・かにかくに・辰巳さん


JUGEMテーマ:日記・一般

 昨日、桜はどうなっているのかなと気になり、

久しぶりに祇園白川を通ってみた。



 意外に人が多く、カメラ片手に・・・三脚つきの写真機で

おもいおもいに、桜を楽しんでいた。




 枝垂桜が、七分咲き・・・

 ソメイヨシノは、まだ二分〜三分といったところかな。


これから・・・まだまだこれからといったとこでした。


 

 東日本大震災もあって、自粛ムード一杯の祇園界隈。

でも桜のもとには、人が集まってくる。

酒呑んで馬鹿騒ぎは、今年は少なそう。・・・




 呑んで帰ろうかなと思って、

祇園まで立ち寄ってみたものの、

桜だけ見て、そのまま家路につくことにした。・・・・



 

 

京都歴史探訪その3・・・龍馬暗殺。。。 検 近江屋・龍馬を斬った男・海援隊・陸援隊


JUGEMテーマ:日記・一般

 

 あの坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋跡・・・

河原町蛸薬師を下がったところ・・・


「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と記された

石碑が建っている。




 以前は旅行代理店(京阪交通社)だった。

2009年夏からコンビニ(サークルK)となっている。

河原町通をはさんだ向かい側は、土佐藩邸があった。

 


 近江屋事件(おうみやじけん)とは・・・

幕末の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に

坂本龍馬と中岡慎太郎が京都河原町近江屋井口新助邸において

暗殺された事件のこと。

 

 

この日、風邪を引いていた龍馬は、

夕方にやって来た中岡慎太郎と、

近江屋の二階で話をしていた。

部屋には、龍馬と中岡の他に、

龍馬の護衛をしていた元・力士の山田藤吉の3人だけ。

南大和の十津川郷に在住する下級武士の集団

「十津川郷土(とつがわごうし)」と名乗る

数名の男が訪ねて来たので、

山田藤吉は部屋へ案内をしている際に後ろから斬られ、

龍馬と中岡は、二階の部屋で襲撃を受ける。

龍馬はほぼ即死に近く、中岡は致命傷を負っていて、

事件の詳細を伝えた後に、襲撃から2日後に亡くなる。




 旧暦での11月15日は、龍馬の誕生日でした。

 


 坂本龍馬が姉・乙女へ宛てた手紙・・・・

「日本をもう一度、洗濯しなければなりません」また

「自分1人で天下を動かす事が出来るとしたら、

それは天命です。そして、長生きをすると思わないで欲しい。」と

あり、まるでこれから自分に起きることを

知っていたかのような手紙の内容です。


「龍馬」と名付けられたのには、

母・幸が龍馬の生まれる前日に見た夢に、

「龍」が出てきた事と、生まれてきた龍馬の背中には

、毛が生えていてまるで、たてがみのようだった事から、

「龍」と「馬」の字が使われ「龍馬」と

名付けられたと言われている。


 


 中岡慎太郎は、坂本龍馬の協力により、

長州藩・桂小五郎と薩摩藩・西郷隆盛の会合によって、

同盟を結ばせるために、薩摩と長州の間を奔走し、

薩長同盟を成功させた。

 そして薩摩藩と土佐藩のために奔走して、

薩摩藩の大久保利通・小松帯刀と

土佐藩の後藤象二郎・坂本龍馬と共に

薩土盟約を成功させる。・・・

 そして大政奉還へとつながっていく。

 


 京都の霊山(りょうぜん)歴史館には、

見廻組・桂隼之助の子孫によって、

寄贈された坂本龍馬を斬った刀だと

伝えられている刀が所蔵されている。

 京都国立博物館には、

画家・淡海槐堂(おうみ
かいどう)が誕生祝いとして、

龍馬が暗殺された当日に贈ったとされる、

「梅椿図」という掛け軸が所蔵されています。

この掛け軸には、血痕があり、

襲撃を受けた際に付いた龍馬たちの血とされています。・・・


 一度、見に行かれてはいかかが?



 わずか33年の人生・・・

日本の夜明けをつくったからこそ、今にいたる。




 

京都歴史探訪その2・・・大村益次郎暗殺。。。 検 攘夷思想・尊王思想・佐幕・三条木屋町


JUGEMテーマ:日記・一般

 池田屋事件から一ヶ月後の864年七月、



三条木屋町で佐久間象山が暗殺された。


 池田屋事件が勃発した頃の京都の情勢は、

尊王攘夷の志士たちと公武合体派、佐幕派の志士たちとが

にらみ合う緊迫した空気が漂っていました。


 龍馬伝でも取り上げられているように、

神戸海軍操練所の開設は、諸藩から広く練習生を募集したように、

藩という枠をこえた視界をもち、

同時にグローバルな展望をもった試みでした。

 しかし、この時代にあって、先を見通したこのような動きは、

効果・結果が確かめ難いことがありました。

 これに比べて、武装蜂起して、京都焼き討ちの混乱の中で、

要人暗殺などを行うという計画は、

結果がすぐに見えたわけです。

未熟さを刺激することで手軽な行動を

引き出しやすかったのかもしれません。

 


「攘夷」というと尊王攘夷→倒幕という図式を

想像してしまうかもしれませんが、


尊王攘夷という言葉は「尊王」思想と「攘夷」思想を

単にくっつけたものだということ。

 新撰組はというと「佐幕」となるが、

新撰組は幕府のために京都の治安維持の任務についているが、

彼らの発足時の目的は「攘夷」だった。

攘夷といえば長州藩や薩摩藩が有名になっているので、

新撰組が攘夷を目的としていたと言っても

どこか違和感があるかもしれません。


 もともと攘夷とは「夷人(外国人)をしりぞける」という

意味であり、開国直後から1864年ころまでは、

西国に限らず関東でも攘夷思想は広まっていた。

その攘夷思想に「佐幕」または「尊王」思想がくっついたと

考えればいい。

 新撰組も発足当時は

「幕府主体で攘夷を行う」という目的があった。


「佐幕攘夷」を掲げていた新撰組にとって、

幕府と朝廷が提携することは、外国から
の脅威に

対抗する大きな力である。

そのため新撰組は公武合体による攘夷の実現を期待した・・・

しかし幕府は攘夷をおこなわなかった。・・・

 

 こういう政局の中での、それぞれの身の処し方って、

なんか現代でも似たようなことがありませんか?



 


 石碑には、佐久間象山・大村益次郎遭難之碑とある。


大村益次郎は、長州藩出身。靖国神社の創始者、日本陸軍の祖。


医学を梅田幽斎に学び、さらに緒方洪庵の適塾でも学んで

兵学者となった。


 長州藩の軍事指導者として活躍。

西洋の兵術などの才能を桂小五郎に買われて

軍隊の指揮を任される。


「戊辰戦争」では、その手腕により新政府軍を勝利に導く。

明治維新後は、文字通り、軍権の全権を担い、

軍隊の西洋化を奨め、日本陸軍の礎を築く。


 その功績から維新後、兵部大輔に任命され、

近代兵制樹立に尽力。


 しかし、廃刀論で士族の反感を買い、

1869年(明治2年)に三条木屋町にて反対派士族に襲われ、

その傷がもとで、敗血症で死去。



 死の間際に、「必ずや足利尊氏のごとき人物が

九州より反逆の狼煙を上げるだろう」と予言しているのである。

 その予言は、1877年(明治10年)に起こった

西郷隆盛率いる「西南戦争」で現実のものとなる



 その性格は頭脳明瞭で合理的な思考であるが、

堅物で人当たりが下手であったため、

人から誤解を招くこともあったであろう。

愚直なまでに新しい時代を作り上げようとした男であった。



 江戸時代三百年余りの間の鎖国によって

天下太平の代を貪っていた日本は

海外からの外艦の来訪とともに、

夢から覚まされる事となる。

 この時代、亜細亜の国々は、欧米列強の亜細亜侵略の

野望の渦中にあった。

日本もそのような中にあって、

いかに外国の配下におかれないで、

外国の侵略に耐えるかは、統制のとれた軍隊が

必要ではないかと考えられ、

その明治維新草創の時に当たり、

国防軍建立を確立したのが、他ならぬ大村益次郎であった。

 大村益次郎は、武士を廃止して国民皆兵の方針により

近代的軍隊の創建に努力した。

日本の国は日本國民全てで守るべきだと考えたのである。



 編⊃声勸譴猟撒錣函二の鳥居の中間辺りに、

大村益次郎の銅像が立っている。

 この像は上野の山の西郷隆盛像と向かい合っていると

言われる大村益次郎は大村益次郎と西郷隆盛、

共に明治維新の幕を開いた人物であるが、

人物的に人生論、精神論が全く対照的であったようである。

 


 西郷隆盛・・・薩摩藩出身。維新三傑にも列挙されている

幕末・維新の主人公。

薩長同盟、江戸無血開城など幕末の名場面を常に彩ってきた。

明治維新後は、「征韓論」を唱え、盟友・大久保利通らと対立し、

政治的に敗北し鹿児島に下野。

 西郷自身は、政府と対立する気はなかったが、

不平不満分子の旗頭に祭り上げられ、

心ならずも「西南戦争」を勃発させる。が敗北し自刃する。

 当時から人望があり、強烈なカリスマ性を備えた人物で、

明治天皇にも愛されていたという。

 死後、その国民的人気のより国賊の汚名を拭われ

上野公園に銅像が建てられることになる。

 


 西郷隆盛は政治家ではなく、忠と義の人であり、

大村益次郎は現実主義者で、政治家でもあり、

事務的に物事を処理する人物のようであった。

大村益次郎は、西郷隆盛の動向を監視していたようであるが、

大村益次郎が先に亡くなったため

西南の役での両雄の対決は無かったが、

両雄ともに波乱に満ちた生涯であった。

 

  


京都歴史探訪その1・・・池田屋跡にて。。。 検 龍馬伝・尊王攘夷・佐幕・公武合体


JUGEMテーマ:日記・一般

 京都は、歴史が堆積した町です。

何を今さらのようでもありますが、

私にとっては、大学受験の折に世界史を選択したために、

まぁ日本史にうといのなんのって・・・

だからよけいに何でも素直に新鮮に受け止めることができる。

知らなかったことを知ること・・・

これもまた成長といっていいでしょう。



 京都市中京区・・・三条大橋の西側に

池田屋跡の石碑が建っています。




 明治維新を1年早めたとも、

1年遅らせたともいわれる池田屋事件。

新選組が大活躍した事件として有名である。

 今では碑が建つのみで、当時の面影は全くありません。


現在は、居酒屋となっており、その前は、パチンコ屋だった。

 


 池田屋事件が勃発した頃の京都の情勢は、

尊王攘夷の志士たちと公武合体派、佐幕派の志士たちとが

にらみ合う緊迫した空気が漂っていました。


 1863年頃、朝廷は三条実美らの攘夷急進派が

主導権を握っていました。

 彼らは長州と結び、外国との門戸を開けてしまった

幕府を倒して、天皇の親政を実現すべきだと考えていましたが、

孝明天皇はむしろ朝廷と幕府が協調していこうという

公武合体派でした。

 そこで孝明天皇は、中川宮に密かに指令を出して

クーデターを決行します。


 公家と会津・薩摩の両藩が組んで

長州藩を追い落としにかかったのが「8.18の政変」です。


 このあとしばらくは、公武合体派が朝廷の主導権を握ります。



 しかし、尊王攘夷派の京都奪還の夢は、捨て切れず、

京都の裏舞台では、尊王攘攘の急進派志士たちが、身を潜めて

何事か謀略事を議論していた。

 この尊王攘夷の急進派志士たちの不穏な動きを

察知した幕府は、見廻組や新選組を設置して、

京都の警備に当たらせていた。

その警戒をしていた最中に池田屋事件が起きたわけです。

 

 1864年6月三条大橋畔の旅館「池田屋」にて、

急進派志士が京都に火を放ち、

敵対する幕府の要人などを暗殺して、

天皇を長州へ移送する計画を

密議しているところへ新選組が、池田屋に突入・・・

斬殺・捕縛するという事件が起こった。



 そして長州藩は藩兵を率いて京都に上洛し、

実力で薩摩・会津藩を退けようとした。

これが蛤御門の変である。

 


 池田屋事件後から一ヶ月たった7月、勝海舟の妹婿

佐久間象山が暗殺されました。




 この石碑が、池田屋跡の石碑から西に1分足らず・・・

佐久間象山・・・公武合体・開国佐幕を説いて

活躍していたが三条木屋町で尊王攘夷派に暗殺された。

その石碑があります。


 

 この石碑には、大村益次郎の名前も刻まれています。



明日は、大村益次郎の話へとつながります。

 

 

 

祇園新橋 桜はまだ五分咲きくらいかな・・・ 検 川と橋と神社と石畳の京情緒




 ちょと早起きをして、祇園新橋に寄り道した。・・・

 夜の喧騒と趣きが異なり、朝はなんかスッピンの祇園がある。


 桜はどれはど咲き始めているか見たくなった。

 まだひんやりとした空気が妙に新鮮や・・・・

 カメラを持った人たちもあちこちで増えてきている。


 桜たちは、太陽に向かって芽を出し、蕾となる。

 太陽の恵みを浴びようとしているんですね。・・・・

 そして花が開くと下向きに咲く。
 

 今年はやっぱり早いなぁ〜・・・・

 辰己大明神をまず・・・一枚撮っておこう。




 そして桜のアップやね・・・



 
 ん!? バッテリーを交換して下さい・・・???


 ウソやろぉ〜・・・・何でやねんなぁ〜・・・

 くそぉ〜・・・こんなときに・・・


 というわけで、画像が2枚しかおまへん。


 こうして見ると、辰己さんの桜は、

 年々何か弱ってきているように見えるなぁ〜

 桜の数が減ってきているような感じもするし、

 なんか色に元気がない・・・


 根っこが石につかえて行き場がなくなってるんちゃうか・・・



 昨日より、白川南通りで、ライトアップ・

 新橋通では、花灯路のイベントが始まっていますよ。




 日時 平成20年3月28日(金)〜4月6日(日)

 時間 18時〜22時


 4月2日(水)と4日(金)の15時から17時半まで、

 舞妓はんの撮影会があるから、舞妓さんが見れまっせ・・・・

 ほんまもんの舞妓はん(笑)ですよ。


 それぞれの地域に咲き誇る”桜”をどうぞお楽しみ下さい!・・・





♪こんな男に誰がした♪・・・・検ジーンズ・手描き・和柄・和・リメイク・祇園新橋




 ♪星の流れに身を占って・・・・♪

 菊池章子の歌に“♪こんな女に誰がした♪”ってのがあったなぁ〜・・・


 今週始まって間もないないが、不思議なことが多かったなぁ〜

 今週の月曜日だったか・・・

 たまたまこの新風館Kyoto styleの店の人から、

 祇園で安くておいしい店を教えて下さい!・・・と相談され、

 縄手新橋にある“登希代”というお晩菜(おかず)の店を

 紹介した。・・・・

 二人で行きますのでということだったので、予約をしてあげた。・・・・


 さて家に帰ろうかなと思いながら、

 登希代さんのことが頭をよぎり、

 今年になって一回も行ってへんなぁ〜・・・って考えていたら、

 足が登希代さんのほうを向いていた。


 “久しぶりやなぁ〜”・・・いつもの屈託の笑顔で迎えてくれた。

 “予約してあげた二人とは、別やしね”・・・・

 あとから来るであろう予約を頼まれた人も

 先に私が行っていたら、そりゃびっくりするかな・・・と

 思いながら・・・・

 まぁ邪魔さえしなけりゃいいやろ気分で、・・・・

 今年初めての酒とお晩菜をつつくことにした。




 そのうち二人が来た・・・・

 偶然にも私の左となりの席があいてしまった。・・・・


 二人の邪魔をしないようにと思いながら飲んでたら、

 私の右となりの白髪の爺さんが邪魔してきた。

 しゃぁないし、爺さんのお守りしながら飲むことにした。
 

 ふと眼鏡を見ると、プレスリーのサングラスのような

 ごっついフレーム・・・しかもどう見ても。。。

 これは“金張り”や。

 爺さんは、言いたいこといい放題でそれに声もよくとおる。

 適度にツッコミいれたり、ボケかましたりすると、

 さらに爺さんは盛り上がった。


 そのうち、カラオケに行こう!・・・

 連れて行ったるという思わぬ展開となる。
 

 “カラオケ?・・・いいっすよ!”・・・・

 
 それじゃそこの二人も来なさいと半ば強引に

 爺さん・私・そしてお晩菜をもっと食べたかった二人の

 計4人で、爺さん行きつけの祇園メンバーズ○○○で

 カラオケ大会とあいなった。・・・・


 爺さんのわがまま言いたい放題にママの汗汗気遣い。・・・・


 この爺さんなんかただ者でなさそう。
 

 仕事を聞くと、どこかの名誉会長さんとのこと。

 てっきり年金生活者と思っていたら、

 なんと豪放磊落・・・宵越しの金は持たない

 面倒見のいい親分経営者だった。


 行きががり上、無理矢理おつきあいいただいた二人を先に帰し、

 爺さんと二人きりとなった。・・・・


 自慢話含めた話の裏側に・・・

 奥さんが病気で毎日病院に看病に行っていることがわかった。・・・・


 そうか寂しさの裏返しだったんやね。

 よぉわかった、爺さん!
 

 午前さまで二人タクシーで帰ることとなった。・・・・

 全部ゴチになりました。


 翌日、登希代さんのお客さんに、

 ご馳走になったことを登希代のおかあさんにも報告し

 もし今度来られたときには、お礼を言いたいので

 電話くれるように依頼しておいた。


 翌々日、登希代さんから私に電話がかかってきた。

 “今、みえていますよ”・・・・

 電話を代わってもらって先日のお礼を申し上げたところ、

 “今から登希代に出て来なさい”とのこと。


 “い、いいっすよぉ〜”・・・また同席することとなった。


 今日は、私が君を呼んだんだから、

 払いは爺さんがまたまた持ってくれた。


 “今日も歌いに行こうか?”・・・・

 “い、いいっすよぉ”


 ほんでまた先日の店でカラオケすることになった。


 なんかえらい気に入ってもらったようで、

 私の義理の弟になれ!という命令。

 相談や困ったことがあったらいつでも連絡して来なさいと

 携帯番号を渡された。


 私は、弟では失礼なので、以降“おじき”と呼ぶことにした。


 話はここで終わりではないのです・・・続くんです。


 そしてまたその翌日、今晩また登希代に行くからということで、

 出てくるように電話がありました。


 “い、いいっすよぉ!”・・・・

 そんなわけでまた登希代さんで

 飲んだり、しゃべったりすることとなりました。


 月曜日・水曜日・木曜日と続いております。


 フィニッシュは、カラオケでなく、うどんを食って帰りました(笑)



 何を気に入ってもらったんでしょう(笑)・・・・

 つきあいを断らないからかな


 “い、いいっすよぉ〜”・・・だって断る理由がないもんね(笑)・・・

 ヒマやしなぁ・・・アハハ






護摩木焚き・・・お願いごといろいろ  検 祇園・辰己大明神・新橋・白川・巽橋




 護摩木を書いてくれた人への約束を果たせた。



 今日は、13時より、辰己さん前で、火焚き祭・・・・

 元吉町の町内行事として、各家庭やお店ごとに、

 いろいろな願いごとを書いてもらった護摩木を

 辰己さん前で、焚く。・・・・

 全部で5〜600本くらいあるのかな。












 書いてもらった護摩木を燃やしているところを、

 画像にアップしたかった。その証拠写真です。・・・


 超ミニのキャンプ・ファイヤーですね。


 “星に願いを・・・・”ではなく、“護摩木に願いを・・・”です。












 地元で内々の小さな行事が、絶えることなく

 継続されているのがいい。

 地味さゆえに、かえって親しみが湧いてくるのは、

 私だけでしょうか・・・






 ついでに、神さんへのお供え物も撮っといたった。

 ウヒョ〜鯛と鯉もいたで。




 タイミングよく、お客さんに書いてもらった護摩木が、

 まさに火の中に入れられたとこも発見できた。




 「いい仕事ができますように・・・・」かぁ〜・・・・

 辰己さん・・・よろピく!パチ!パチ!!




 こうして祇園も07年の師走が、はややってきます。・・・・

 あと1ヶ月ちょっとで今年も終わり・・・・フゥ!



護摩木を焚きます。・・11.29祇園辰己大明神・・・検 祇園新橋・辰己さん・護摩木 




 店を終えて、祇園を通って帰る。

 お番菜屋の“登希代”さんに立ち寄る。

 蛸かイカの煮物を注文する。・・・

 それとぉ〜おでんの筋を二串。・・焼酎水割りな!・・・

 いつ来ても同じものしか食べないので・・・

 野菜をとらんとあかんえ!と

 大根と人参の千切りみたいなもんを出してくれた。




 

 登希代のおとうさんが、辰己大明神の代表世話人なんで、

 今年も“護摩木焚き”の話になった。

 護摩木とは、護摩を焚く時に燃やす木のことです。




 辰己大明神のほうには、名前と年齢

 元吉町のほうには、願いごと・・・などを書いておくと、

 11月29日(木)に辰己さん前で、護摩木焚きをしてくれる。
 

 昨日、11月1日・・・1が並んだ数字だったこともあり、

 護摩木にかいた事。

 手描きバカ一代 祇園どっと.ていらー

 三年九ヶ月、お世話になりました。・・・・




 新風館でのお客さんにも書いてもらおうと

 他に10本買っておくことにした。


 20日頃までに、お越しいただいたお客さんには、

 差し上げますから利用して下さい。
 

 護摩木って調べてみたら、ルーツは、不動明王を本尊として、

 その前にいろいろな供え物を捧げ、

 護摩木という特別につくられた薪を焚いて

 不動明王に祈る真言密教の秘法からきています。

 護摩の火は、不動明王の智慧を表わし、薪は煩悩を表してします。


 なんでこんな話をするかといえば、

 ちょうど今、不動明王を描いているところなんです。


 それに加えて、お客さんから電話があり、

 革ジャンに不動明王の手描きリクエストが

 あったりしたからです。

 おまけに、画像の番傘にも、手描きしてみることになりました。






 11月のキィワードは、“不動明王”かもしれません。

 もちろん北斎が描いた不動明王でんがなぁ〜。
 

 10月は、“不動”産屋さんとゴタゴタしたし、

 11月に入っとたん、“不動”明王。


 ここまでのこじつけできることがすごい!(笑)・・・・

 頭んなか・・・煩悩だらけということかいな・・・・

 なんじゃそら!



祇園人情・・・・昭和の心遣い・・・・検リメイク・祇園・お番菜


 店が終わって、時々通った縄手新橋上ル東側に

 “登希代”というお番菜(お惣菜)屋さんがある。


 お客さん全部帰られたし、好きなもの食べて帰りぃ!と

 声をかけてもらった。

 引越し準備で、クタクタだっただけに、

 イスに腰掛けてなんかほっこりした。
 

 今日は、ご馳走したげるから、好きなもの食べて行きなさいと

 いうことだった。

 なんか、ホロっとする気分でした。

 忘れることのできない店・・・“登希代”さんです。

 食べかけた途端、デジカメ撮らせてもらった。・・・・



 
 ブログ&ミクシィに書いとくわぁ!・・・・

 それが今日になってしまった。
 

 この3年間、近所つきあい以上に可愛がってもらったなぁ〜

 そやそや・・・筆達者のお母さんが

 “京都のいけずについて”というのをまとめたのも、

 私が借りた本を・・・

 この祇園の本、けっこうおもろいでって話をした時に、

 目を輝かせていた。

 又貸しとはいえ、おもろい“京都のいけず”が出来上がった。


 それを筆で清書して、巻物としてもらった。・・・・

 ちょとご披露しておきます。


 京都のいけずについて

 京都は、東京など他の大都市のように、

 城下町から生まれた町ではありません。

 その最初から天皇の住む中央として作られた

 計画都市であったのです。
 

 それ故に、諸国の群雄がこぞって京都に入洛し、

 千年の都には、常に政争と戦火の人間ドラマが渦巻いてきました。

 こんな都会の歴史にきびしくしごき抜かれた京都の人が、

 エリート意識と不屈の根性、

 人間としての美しい情愛を

 意識の底に堆積させてきたのは、

 歴史の必然なことであったのでしょう。
 

 京都の人は、村的因襲や外界の監視、

 周囲の中傷や干渉がきびしい中で、

 主体性を消滅させ、客観的精神の持ち主になっていきました。

 そして社交上の礼節を守り、他人のプライバシィを尊重し、

 しかも人間関係の持続と断絶が自由にでき、

 本質は決して排他的ではなく、

 伝統と前衛を具え、考え方はインターナショナルで

 マクロ的な視野を持っているのです。
 

 京都の人は、いけずだと言われています。

 長い歴史に訓練された京言葉には、

 礼儀上、口にしない言葉やあからさまにいわない言葉が

 多くあります。

 ずばり全部言わなくとも、京都弁にはお互いの心の中で

 通じあうものがあります。
 

 「まぁ、おぶ漬けでも・・・・」と

 京都に人が勧める言葉も一種の社交用語なのです。


 客が「じぶんどき(食事時間)」になっても、

 気が付かない場合に、それを伝える方法です。

 おぶ漬けを勧める事で、実は客への好意を示しているのです。

 お客はその好意を汲み取って、婉曲に断り、

 早々に辞去するのがエチケットと言うものでしょう。


 「いちげんさんお断り」についても、

 おなじみのお客を大切にすると同時に、

 未知の人に警戒心を弛めないことの現われでもあります。

 京都の宿や飲食店では、おなじみの客を身内のように大切にします。

 盗難さわぎやけんかさわぎ、どんちゃんさわぎなど、

 店の品位を落としたり、おなじみさんが迷惑する事の

 ないように気を使います。
 

 京都には、昔から女性の商人が多いと言われてきました。

 お茶屋や会員制クラブの所には、女所帯が特に多く、

 トラブルを避ける用心深さは、当然のことではないでしょうか。
 

 私の聞いたところでは、気心の分からない

 はじめてのお客さんに対しては、

 心からの行き届いたおもてなしができず、

 失礼があっては申し訳ないとの気づかいから

 出た言葉だと伺いました。
 
 京都の人は、理屈をきらって、

 長年の経験と習慣に従って常識的に物事を処理します。

 常識的判断の驚くべき正確さは、

 祖先から伝わる経験が教える「感」なのです。

 物事の結末を直感的に洞察して誤らない才能と知恵があります。

 直情を知性でおさえ、長年のしきたりを破壊しようとする相手を

 心では許そうとしないのです。


 この精神的な防衛反応が「いけず」の本質であると思います。・・・



 登希代の皆さん・・・お世話になりました。

 本当に心から感謝です。



 新参者のおっさんにいつも暖かいことばをかけていただき、

 あっという間に祇園ファンになりましたよ。

 辰己さんや玉垣・・・白川の桜・芸妓さん・舞妓さん・

 石畳・地蔵盆・・・・いろいろと楽しゅうございました。
 

 “I shall return”・・・・

  TO GION・・・againです。






 登りはじめて この道よ

 希望にもえて 代々に伝えん・・・登希代さんの名前の由来です。


続々:58インチの手描きジーンズの完成披露“激写”会・・・検リメイク・手描き・和・和柄


58インチのLevis 501XXの巨大ジーンズ。

花魁のとなりに、これまた北斎の“雪中張飛”・・・






三国時代、蜀漢の武将です。

関羽と共に劉備を助け、魏・呉と戦ったが、

呉の討伐の途中、部下によって暗殺される。

雪中に槍を持ち、笠をかざして天空を見つめる張飛の姿です。・・・

実際の絵には、うっすらと雪が舞っています。・・・・

原寸は、133センチ×44センチなのだそうですが、

これでも100センチ×34センチの大きさですから、

自分で言うのも手前味噌ですが・・・・・

けっこうな迫力です。




 

店の中では、写真がとれないんで、

石畳にての撮影となったわけです。・・・・




誰もいません!・・・

誰も見ていません!・・・

そら今のあいだや!!!・・



かくして道交法違反のなかで、

58インチのジーンズに張飛と花魁の

極秘撮影激写会が終了しました(笑)



 
いやぁ〜出来上がってみると壮観です。

これも58インチのジーンズが、

ヤフオクで落札できたからです。

Levisさんが、こんなでかいジーンズを

つくっていてくれたからです。・・・・ありがとうネ!


 

そして、10月1日から、

新天地・・・烏丸新風館にて、武者修行に励みます。

なんか・・・ふと・・・村田英雄が唄った柔道水滸伝を思い出した

 ♪言われて励むも 修行なら♪

 ♪言われなくても やるのが修行♪

 ♪つらい涙を無駄にはするな♪

 ♪あすの時代を築くため♪

 ♪ああ花の花の柔道水滸伝♪




相変わらず、昭和が抜けていないことを実感した(笑)


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