
出雲の阿国・・・江戸幕府が始まった1603年、
京都で華麗な舞台を見せた「阿国かぶき」という
新しい芸能をつくり、一躍大スターになった。
南座そばの川端四条に銅像があります。

京都の四条河原で、出雲大社の巫女(みこ)となのって、
幼いころから各地を巡った阿国は、
「かぶき物」スタイルで男装し、茶屋の女性と遊ぶようすを演じた。
阿国は、元祖「男役」なのです。

かぶき者スタイルとは、南蛮渡来のアクセサリーに長い刀をさし、
常識はずれの目立ったことをする若者を「かぶき者」といった。
能の様式をヒントにし、流行を取り入れ、
配役を決めて演技する目新しい演出に、
人々は喜び「阿国かぶき」と呼んだ。

「傾く」(かぶく=常識離れしている。突拍子もない)女として
大好評を得た。
かぶくとは、どっちかに偏って真っすぐではないさまをいい、
そこから転じて、人生を斜(しゃ)に構えたような人、
身形(みなり)や言動の風変わりな人、
アウトロー的な人などを「かぶき者」と呼んだ。
この「かぶく・かぶき」から歌舞伎の名称もうまれた・・と
されています。


これをもとに歌舞伎は、発展していくことになる。
歌舞伎発祥の歴史は、1603年京都の四条河原で
出雲の阿国(おくに)が初めて女ばかりの
かぶき踊りをしました、(遊女歌舞伎)。
しかしながら、この遊女歌舞伎は風紀を乱すと、幕府が禁止します。
すると次に出来たのが前髪を残す美しい少年を使って同じように、
かぶき踊り(若衆歌舞伎)が、大変に流行しました。
このころ350年も前から、美少年の売り物があったのです。
しかし、これも同じ風俗紊乱(ふうぞくびんらん)と言う理由で
1652年に禁止されたのです。
当時は、娯楽も無くかぶき踊りや芝居小屋の復活を嘆願し続け、
それでようやく幕府は条件付きで許可をしました。
幕府が出した条件は、女の出演は禁止、若衆も禁止、
踊りだけでは無く芝居をすること、
一人前の男だけが出演が許されました。
以上の条件で現在の歌舞伎の原点が出来上がりました(野郎歌舞伎)。
芝居をする関係上女役も必要ですから、
必然的に女役(おやま)が生まれました。
そして歌舞伎は男だけで上演されるようになり、
そんな歴史的理由から伝統的に歌舞伎の舞台には
女性は出演しないのです。.
長くなったので、舞妓はぁ〜んは、明日にします。















