
先日、心斎橋に行った時、ブックオフで見つけた
戦国ものの本にあった上杉謙信 本。

“馬上一閃 猛き蒼龍の光跡”って書いてあった
ことばにも魅かれたのか・・・・
林泉寺にある上杉謙信馬上の図に目が止まる。・・・・
昨年で、NHK大河ドラマ“風林火山”も終わったから、
今さらどうかとも思ったけども・・・


これ描いておこうとの気になった。
これをそっくりそのまま背中に、カバーオールに模写した。

馬にまたがり、鎧を纏って刀を振りかざす武者姿も
あまり目にする機会がないので
妙に新鮮な気分になる。

戦国乱世にあって、“信”に生き“義”に殉じた
戦国最強の呼び声高い不世出の武将と言われた。
謙信の薫陶に導かれた後継者に、
上杉景勝そして直江兼続がいた。

国家の品格が取りざたされる今日にあって、
歴史に学ぶことは数多くある。
誰が勝って誰が負けたからではなく・・・
どのような生き方をしたか・・・
なぜそのような生き方をしたか・・・・
そこが大事なことのように思う。
四十九年一睡夢 一期栄華一杯酒・・・・
四十九年の我が生涯は、振り返ってみれば
一睡の夢に過ぎなかった。
この世の栄華は、一杯の美味しいお酒に等しい。・・・

謙信の辞世の句です。
辞世の句で思い出したが、
私の座右の銘ともしていることばがあります。
“散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ”・・・・
これは、細川ガラシャの辞世の句です。
細川ガラシャは、織田信長の家臣 明智光秀の娘であり、
信長の勧めで、細川忠興の妻となります。
そして父 光秀が主君信長を京の本能寺に討つ
という事件が起こります。
それから十二日後光秀は羽柴秀吉らの急襲にあい、
山崎の戦いで敗死しました。
逆臣の汚名を着ることになったのです。
どのような仕打ちを受けても仕方がない身となりました。
かくして秀吉が死に、石田三成は、関ヶ原の戦いを目前に、
諸大名の側室を人質にするため大阪城登城を命じました。
この事態を予期していたガラシャは、
自害を禁じているキリシタンの教えとの間で
どのように対処すべきか、司祭に相談し、
その手段を考えていた。
三成の兵五百が細川屋敷を取り囲み、
ガラシャの引き渡しを要求してきた。
家臣らは、白無垢に着替えたガラシャの首を切り落とした後、
その遺骸を絹衣で覆い、火薬をまいて全員自害した。
そして細川忠興は、関ヶ原では東軍(家康側)として
後顧の憂いなく戦うことができました。
ガラシャのキリシタンとして夫に仕えた最期でした。
その時の細川ガラシャの辞世の句です。
自分の置かれた立場をわかるすぎるほど
わかっていたのですね。・・・・















